いまの若い男女が抱えている、困難とは

上野:私が主張していることは以前から変わっていません。あの祝辞が話題になったのは、やはり“東大”という場の力が大きかったと思います。

おもしろいと感じたのは、メッセージに対する男女の感じ方の違いです。のちに東大の学生新聞が在校生にアンケート調査をしましたが、祝辞に対するネガティブな反応は圧倒的に男子のほうが多かった。

東大生を見ていると、ネオリベラリズムの価値観である”自己決定・自己責任”を内面化する傾向が強いと感じます。自分が東大に入れたのは、100%自分が頑張ったからだと信じていますから、それを否定するような祝辞に対して、「ディスられた」と感じたんでしょうね。

でも、それって怖いことですよ。うまくいっても自己責任、うまくいかなくても自己責任になっちゃうから、最終的には自分を責めるしかなくなってしまう。結果、メンタルを病む子をたくさん見てきました。リストカット、摂食障害、対人恐怖……。

私たちの時代には、なにかあったら「社会が悪い」と言えた。だから社会に反抗するためにデモもしたし投石もした。卒業するときに校舎の窓ガラスを割った子どもたちもいたけど、リストカットするより、そっちのほうが自分を傷つけない分だけマシでしょう。最近の子はそれができなくなって、攻撃性が内に向くようになってしまったようです。

上野:そうだと思います。「こういう状況になってしまったのは、自己決定・自己責任だ!」という論調がはびこっていますから。

女性も同じです。女性に対する構造的な差別があっても、プライドが高いほど、それを認められない。自分が弱者のカテゴリーに属していることを認めたくないから。それを「弱さ嫌悪(ウィークネス・フォビア)」と言います。被害を受けても、「この程度は被害のうちに入らない」「こんなことでは傷つかない」と被害を否認すればするほど、性差別的な構造を温存することにつながります。

東大の祝辞を機に十代の間で私の知名度が上がっていて、高校生たちとやり取りする機会が増えたことで、興味深い話がたくさん聞けるようになりました。あるとき、ひとりの女生徒が、「進路指導の教師から『お前は女なんだから、浪人なんてするんじゃないぞ』と言われた」ってこぼしたんです。だから、「あなたはなんて言い返したの?」と訊いてみると、「なにも。言っても通じないから黙った」って。女子だからという理由で、いまだにそんなことを言う教師もいるんですね。「でも、あなたが黙ると、その先生、他の子にも同じことをやるわよ」と伝えました。

上野:一方で、最近の若い男性も困難を抱えていますね。これまでは「男とはこうあるべきだ」というモデルがはっきりしていて、そこを目指すことに疑いすら持たなかったけれども、時代が進んだことで、「お父さんみたいなサラリーマンにはなりたくない」と考える若い男性が増えている。

「男性が支配的で特権的な立場にある」という、“家父長制”が当たり前とされてきた時代には、「自分も父のようになって、尽くしてくれる妻を手に入れるのが正しい道」と思えたのが、いまはもうそうじゃない。だから、お父さんみたいにはなりたくないんだけど、じゃあどうすればいいのか、目指すべきロールモデルが見つからないんじゃないかしら。だからいまの若い男性たちも大変だなと感じています。

その点、若い女性たちにはさまざまなロールモデルが登場してきていると言えるかもしれません。結婚する女もしない女も、子どもを産む女も産まない女も、働く女も働かない女も、それにいろいろな働き方の選択肢が増えてきました。それでも、データ上では女性の賃金は低いし、学歴格差だってあるし、変えていかなければいけない問題は山積みですけれどね。