「学校の先生」―― 日本人ならば誰もが一度はお世話になったことがあるだろう。国語、数学といった専門の教科を教えるだけではなく、担任教師として、部活動顧問として、生活指導担当として……多くの役割を担い生徒たちと関わりを持つのが「教師」という職業である。それゆえに教師は生徒にとって「親」「親族」以外で最も身近な大人と言えるのかもしれない。

「――だから僕は、教師を辞めました」

現在プルデンシャル生命のライフプランナーとして働く宮原一徹さんは言った。学ぶことの大切さを説く宮原さんが学び舎を離れた理由は何なのか。そしてライフプランナーとなった今「生徒達に伝えたいこと」とは――。



「お金から一番遠い職業」だから教師を選んだ

雨の降る大阪。宮原さんは、よく通る声、真摯な眼差しで話し始める。教壇に立っていたころの姿を想像させるような落ち着いた話しぶりに、自らの学生時代を思い出し、懐かしさを覚えた。

「僕が教師として最後に勤めていた公立高校はいわゆる『教育困難校』と呼ばれる学校で、生活指導が大変でした。ただ、そういう状況は生徒が“やんちゃ”だからというよりも、生徒たちの育ってきた環境によって生まれていたと思います。ご家庭の状況が大変な子も多くて、家庭内暴力やネグレクト、ヤングケアラーといった、ニュースで報道されるようなことが目の前で起きていました」

そう振り返る宮原さんの言葉には、当時の教え子たちへの切実な想いが滲んでいた。

宮原さんが教師を目指した理由は、「お金から一番遠い職業に就きたい」と思っていたからなのだという。「会社の売り上げや昇給のために、飲み会に行ったり会社内の人間関係に気を揉んだりといったような働き方はしたくなかった」と話す。

最初の就職先として選んだのは、大阪府内の私立高校。自身も私立高校の出身だという宮原さんにとって、想像しやすい職場だったためだ。

「自由な校風で、生徒たちものびのびと楽しそうに過ごしていました。世界史の担当としてもテニス部の顧問としても、日々生徒と向き合って、理想の働き方ができていたように感じます。でも、もっといろんな環境の子どもたちと接してみたいという気持ちも次第に大きくなっていきました」

私立高校に3年勤めたあと、宮原さんは公立高校の教員採用試験を受け直した。私立とは違い公立高校の教員は数年で学校を異動するので、そんな部分にも魅力を感じたのだという。だが、配属先の公立高校には宮原さんが考えていた『お金に一番遠い仕事』とは違う現実が待っていた。


教師の立場で感じた「お金の問題」への限界

公立高校で、宮原さんはさまざまな境遇を持つ生徒と出会った。保護者が定職に就いていない生徒。生活保護に頼っている家庭の生徒。お金に困っているだけならまだしも、虐待やネグレクトなどの被害に遭っている生徒も少なくなかった。

「まだまだ子どもなのに、自分のためではなく『家族のために』アルバイトや生活をしている生徒がいました。部活動でも『やりたいけどお金がない子』がどうにか参加できるように、貸切バスではなく電車で移動して合宿費を抑えるなど様々な工夫をしましたね。その日を生きていくのがやっとという生徒や家庭のフォローをし、いわゆる『子どもの貧困』を痛感する日々。『お金に一番遠い仕事』をしていたはずが、『お金のことを考えざるを得ない仕事』になっていたんです」

教師を辞めたのは、2018年。その1年ほど前から、宮原さんにはずっと考えていたことがあるという。

「僕はあくまで教師です。生徒に『親との縁を切れ』とは言えません。縁を切った後、その子はどうやって生きていけばいいのか…、お金を出してあげられるわけでも責任が取れるわけでもない。生徒たちにとって、親の次に身近な存在であるはずの教師。でも、話を聞くことはできても踏み込むのには限界がありました」

せめて生徒たちには生きていくうえで大切な、お金に関する正しい知識を持って社会に出てほしいと、宮原さんは選択科目のコマを使って「金融の授業」を行っていたそうだ。

「3年生を対象に通年で実施していました。僕の実際の給与明細を見せながら、明細の見方とか、税金のことについて説明して。生徒たちは熱心に聞いてくれましたが、結局僕が勤務する学校で、そのコマを選択した子にしか教えてあげられないんですよね」

金融の授業を取っている生徒以外にも苦しい状況下にいる生徒は大勢いる。他の学校にだってたくさんいるだろう。虚しさやもどかしさが積もり、つらかった。

僕にできることはなんだろうか……。

宮原さんは教育現場から去り、別の場所――「金融」の現場から教育について考える道を選択したのだ。


金融の視点から教育に携わる。そのために選んだプルデンシャル

こうして教壇を後にした宮原さんに、「プルデンシャルへの転職理由」を聞いてみた。

「実は、教育系のコンサルを扱う企業への転職も迷っていました。けれど、その会社は行政など、マクロ部分へのアプローチしかできないということも分かっていました。でも僕は個々の家庭の教育や経済状況に関われる仕事がしたかった。そう考えたときに、ライフプランナーならそこまで寄り添えるのではないかと思ったんです。とはいえ営業は未経験。採用フローの途中で、やはり不安だなと思ってプルデンシャルの採用担当者に辞退を告げたんですが、その人は『1年間だけ、僕に預けてくれませんか』と言って引き留めてくれて。そんなに買ってくれているならと転職を決断しました」

プルデンシャルのライフプランナーは、「生命保険を売る」ことだけが仕事ではない。その人の収支や家計事情、将来のビジョンまで丁寧にヒアリングして、未来のためにどのような準備をするべきなのか検討する。ひとりひとりの夢や悩みにまで寄り添い、保険を使って経済的な安心を提供し、人生の伴走者になるのだ。

「僕が世帯の個人保険をお預かりするときは、収支状況をしっかり把握して、教育費や生活費をきちんと確保できるよう一緒に1年間の資金計画を作ったりします。例えば、家計が大変なご家庭は、現金貯蓄自体ができていないことが多いです。まずは家計管理を一緒に考え、生活様式やお金の使い方について一からお話します」

教育費の準備だけでなく、あるご家庭では「子どもの学校や塾選びをどうしていけばよいか」という相談を受けたり、またあるご家庭ではお子さんにも面談の場に参加してもらって進路について直接お話したりと、元教師の経験を存分に発揮している。

そして今では、“元教え子”もライフプランナーとなった宮原さんに連絡をくれることもあるそうだ。

「大人になって経営者になった生徒が、『先生、金融周りのことを色々教えてください』と連絡してきてくれて。それをきっかけに頻繁に会うようになって、税理士を紹介するなど仕事の面で関わっています。生徒たちが大人になってもライフプランナーとして人生に関わることができていると思うとうれしいですね」


学ぶ目的とは。宮原さんが生徒たちに伝えたいこと

▼外部講師として教壇に立つ宮原さん(ご本人提供)

金融の視点から教育に携わる――まさにそのワードを体現するように、宮原さんはライフプランナーとなった現在も、外部講師としてボランティアで中高生に「お金」の授業をしている。毎年複数の学校から依頼を受けて、「金融教育」はもちろんキャリアについて話すことも。宮原さんは生徒たちに何を伝えているのだろうか。

「今日、僕は稼ぎ方を伝えに来たんじゃない。NISAや保険の話ももちろんするけれど、それで大金持ちになれるわけではない。一番伝えたいのは、『世の中で生きていく上で自分にとって間違いのない道を選ぶ判断力を身につけてください』ということです」

宮原さんは続ける。

「判断力を養うことが金融を勉強する目的だと思います。受験のためではなく、生きていくための教養です。大切なのは、ひと月にいくら投資したら何年後にいくら増えて…ということではなく、勉強することで判断力を身につけること。そして、さまざまな経験を積んで人として大きくなり、『あなたに投資したい』と言われるような人間になることなんだと伝えています」

ライフプランナーとして様々な職業、バックボーンのお客さまと出会う中で、この思いが深まっていった。目の前のお客さまと向き合い、その人生について一緒に考え抜いてきたからだ。

「生徒たちに対して、楽して投資で儲けることではなく、生きていくうえで『稼ぐ』ための仕事として、自分に合う職業ややりがいを持って取り組めることは何なのか。そして自分らしい生き方とはどういうものなのかを、よく考えて探してほしいと思うようになりました」

今でも教壇に立つのは楽しいですか、と聞くと、宮原さんはこの日一番の笑顔を見せて言った。

「最高に楽しいですよ。僕は教師ではなくなったけれど、教えることは辞めていないわけだから」――。


インタビュー:山口 真央
写真:梶 礼哉