もしも突然の病で入院や手術をすることになったら?あるいは突然この世から去ってしまったら……? 自身や家族の“もしも”に備えられるもの、それが生命保険だ。

闘病においては、経済的な安心を得ることで「自分の心や身体と向き合う“ゆとり”」が生まれたり、万が一のことが起きても「保険金を通じて大切な家族の生活を守る」こともできる。しかし、生命保険が役に立つのは、経済面だけなのだろうか?

今回の主人公は、プルデンシャル生命のライフプランナー、宮西里奈さん。東京の生花店で働きスキルを磨いたが、30歳目前にして人生の大きな転機が訪れ、地元熊本へ帰郷。そしてそれまで想像もしていなかった生命保険の営業に転身した。

「”ライフプランナー”にしかできないことがきっとある。お金を届けることだけが私たちの仕事ではないはずです」。そう話す彼女には、お客さまとの忘れられないエピソードがあった――。

前編:老後が不安だった私が、安心を届けるようになるまで(←今回の記事はココ!)
後編:忘れられないお客さまと、「My Rules」


地元熊本で、「安心を届ける仕事」と出会った

真冬の澄み渡る空が広がる熊本・阿蘇。春を思わせる暖かさが顔を出したこの日、雄大な山並みを見渡す展望所に、宮西さんは愛車で現れた。

「このあたりは一人でよくドライブに来るんです。いい景色を見て、カフェに立ち寄って、夕陽がきれいだなとリフレッシュして家に帰る。空気は美味しいし、空は広い。やっぱり地元が好きですね」

宮西さんは生まれも育ちも熊本。地元で就職後、幾度かの転職を経て東京へ。そしてライフプランナーになるために、熊本へUターンしてきた。

「阿蘇では毎年、冬が終わるころに野焼きが行われていて、この枯れ草色の山肌を見られるのは今の時期だけ。地元には、美しい山を美しいと思える心の余裕がありますね。私はゆかりがあるこの地で、これからもずっとライフプランナーをやっていきたいんです」

そんな宮西さん、ライフプランナーになる前は生花店で働いていたそうだ。しかし、お花の仕事に精を出す彼女にある転機が訪れる。


30歳独身、「老後の用意がなにもできていない」ことに焦った

「大学時代は結婚式場でアルバイトをしていました。披露宴当日は、早朝からお花屋さんが準備を始めていて、昨日までとはまるで別の空間が生まれるんです。『お花があるだけで、こんなに空間が変わるんだ!』と、お花が持つパワーに魅了されました。特に新婦はお花を見て、わぁーっと表情が一気に輝くんです。感動的でいい仕事だなと思って、お花屋さんになろうと決めました」

はじめは熊本で2社、その後スキルアップのために東京で3社を経験。ビジネス形態はさまざまで、小売りからブライダル、テレビ局やデパートへの卸など、幅広い業務を経験したという。

「東京での仕事はやっぱり規模が大きくて。結婚式のご依頼だけでなく、結婚式場のプロモーション撮影、高級ブティックのウィンドウディスプレイ……。とにかく華やかで楽しい日々でした。けれど、これは東京でしかできない仕事だと薄々気づいてもいましたね。私には東京に骨をうずめる覚悟ができていなかったし、ある程度腕を磨くと自分のお店を持つ人も多い中で、私は踏ん切りがつかずにいました」

そして30歳を迎える直前、当時お付き合いしていた方との別れが訪れた。それを機に、宮西さんの人生が変化していく。

「30歳、独身、彼氏なし。当時は『この先どうなるの?私はずっと一人で生きていくのかも…』とすごく焦りました。そしてあるとき突然、『あれっ、私なにも将来の準備をしてないぞ』って大きな不安に襲われたんです」

それまで仕事に熱心に打ち込むあまり、お金のことは全く考えてこなかったという宮西さん。「あわてて勤務先のすぐ目の前にある銀行に駆け込んで、個人年金を契約し、NISAも始めました。それと、勤務先のツテで生命保険にも入ってみたんです。提示された保障プランに対して納得感はありませんでしたが、『それで足りるんですか?』と聞くのは、そんなこともわからないの?と思われそうで恥ずかしかったんです。とにかく焦っていたし、そのまま契約をすることにしました」


自分がもらった将来への「安心感」を、地元熊本で広めたい

そんな姿を見て声をかけてくれたのが、宮西さんの弟だった。

「弟が、『プルデンシャルのライフプランナーの話をきいてみてくれ』って珍しく食い下がってきて。もう保険には加入したからと断りましたが、あまりにしつこく言うもんだから、弟が紹介してくれたライフプランナーの話を聞くことにしました。それがプルデンシャルとの出会い。紹介されたのは熊本のライフプランナーでしたが、わざわざ東京で働いている私に会いに来てくれたんです」

「その方は、私の将来への不安をひも解くように丁寧に話を聞いてくれて、生命保険でできる将来への備えについて教えてくれました。いま加入している保険では不十分な部分、残しておいたほうがよい部分。そして私が保険金を遺すことになる家族への想いまでも引き出してくれました。初めて『この保険に入りたい』と思ったんです」

こうして、宮西さんはプルデンシャルの「お客さま」になった。その後、担当ライフプランナーに接する中でプルデンシャルでの働き方を知り、「熊本でライフプランナーになる」という選択肢が浮上したそうだ。

「私には金融知識がないし、営業もしたことがない。でも、ライフプランナーから “将来に備える安心” をもらった経験ならある。『これで将来何があっても大丈夫だ』と思えるこの安心感を、私の周りの人にも伝えたい――。地元熊本にいる大切な人たちを、経済的な備えで支えられたなら……」

自分にはできないという気持ちを押しやり、『技量を磨けばきっと誰かの役に立てる』と信じて、プルデンシャルへの転職を決意したという。


金賞=1位じゃない。吹奏楽部時代に気づいた「結果」へのこだわり

宮西さんはプルデンシャルへの入社後、8年にわたってトップ集団の中で走り続けてきた。社内外で行われる勉強会に講師として呼ばれ、自分自身が得意とする分野の経験や知識を共有することも多い。

「負けず嫌いな性格ですか?」と尋ねると、「負けず嫌いというより、わかりやすい結果が好きなんです」と笑顔を見せる宮西さん。学生時代のこんなエピソードを教えてくれた。

「中学校では、吹奏楽部に所属していました。吹奏楽コンクールってちょっと特殊で、出場全団体が金賞・銀賞・銅賞のいずれかに振り分けられるんです。金賞は一番いい賞だけど『1位』とは限らない。1位ならわかりやすいのになって思っていました」

営業の強者が揃うプルデンシャルで、一握りのライフプランナーだけが入賞できる社内コンテストに連続入賞してきた宮西さん。これも、「わかりやすい結果にこだわるから」だという。

「取り組んだ過程が大切という考えも素敵ですが、私の中ではどんなにコツコツ頑張っても、目標を達成できなかったら結果がないのと同じなんです。だから結果を残すために、時には自分を追い込むこともあります。……とは言え、私目立つのは苦手なんですよ」と、宮西さん。

営業パーソンとして結果を残し、勉強会や社内イベントで講師も務める彼女から「目立ちたくない」という意外な言葉が漏れた。

「吹奏楽でも、ほかに残っている楽器がなくて仕方なく花形のトランペットを担当していました。目立って、もし自分が失敗したときに『失敗しちゃったね』といわれるのが嫌なんです。でも、トランペットでも、勉強会の講師でも、私を必要としてくれるならそれに応えたい気持ちはあるし、やっぱり『よかったよ!』という感想をもらうと嬉しい。そんな成功体験の積み重ねがあるから、『目立つのは嫌だけどがんばろう』と思えるのかもしれません。苦手でも繰り返すことって、結構重要なんですよ」


インタビュー・執筆:山口 真央
写真:宮崎 隼