慶應義塾大学医学部を卒業し、国内で心臓外科の研修をしたのち、活躍の場を求めてアメリカに渡った北原大翔(きたはらひろと)さん。現在は、イリノイ州・シカゴ大学で心臓外科医として働いている。

渡米の翌年には後輩たちのために、医師の海外留学や海外勤務にまつわる情報を届けるNPO法人「チームWADA」を立ち上げた。医療に関するさまざまなコンテンツを、SNSやYouTubeで楽しく、わかりやすく伝えている。

経歴を聞くと、世のため人のために身を粉にして動く崇高な医師に見えるかもしれない。しかし北原さんは「自分のやりたいことをやっているだけ」「動機は不純だった」と笑う。北原さんが歩んできた道のりやチームWADAの活動を踏まえ、人生哲学を聞いた。

心臓外科は、物事がシンプルで面白い

北原:「自分らしい服装で」と言われたものですから……。ええと、僕は小さいころから漠然と、シンプルで人に説明しやすい仕事に就きたいと思っていたんです。アメリカに渡るとか心臓外科をやるなんてことは考えていなかったけれど、医師という仕事には興味を持っていました。

ちなみに、通っていた慶應義塾志木高校の3つ上の先輩にも、のちに心臓外科医になってミシガンやニューヨークで働いている人がいます。1学年200人程度の学校から、アメリカの心臓外科医がかなりの確率で輩出されているって、考えてみたらすごいですね。日吉にある慶應義塾高校よりはどことなくアウトローなんだけど、すごく広い敷地のなかで自由に学べる。そして心のどこかで、日吉の慶応ボーイには負けられんという気持ちを持っているという(笑)。そんな環境で過ごしたことが、王道ではないルートを歩むマインドに関係しているのかもしれません。もちろん、在学中からそんなことを感じていたわけではないんですが。

▲大学時代の北原先生(ご本人提供)

北原:心臓外科って、物事がシンプルでわかりやすいんです。たとえば内科だったら、目に見えない身体の中に対して、薬でアプローチをしていきますよね。もちろん薬の作用や病気が治るメカニズムは理解できるんだけど、実際にその様子を見られるわけじゃない。その点、外科はそこに見えている問題に自分の手で対応していくから、ものすごくわかりやすいと感じました。

それから、手技がうまくいくと純粋にうれしいですね。この穴を閉じるためにはまずこんな準備をして、次にここをこう留めて、こうやってメスを動かすときれいにできる……みたいなプロセスを考え、一つひとつクリアしていくのが手術なんです。しかも、それを早くやればやるほど患者さんの身体的負担が減るから、喜んでもらえる。プロセスを考えて実行するという点では、数学の難しいパズルを解いたり、クイズの答えを考えたりしていくような過程と似ている部分があって面白いんですよ。

北原:計画どおりに進められると気持ちがいいですね。走っている人がランナーズ・ハイになるように、手術中にゾーンに入るときもあります。でも、別にその快感を求めているわけではないんですよ。うまくいけばうれしいし、うまくいかなかったら学んだことを次に活かしたい、そんな感覚でしょうか。

……ただ、いまお話したのは心臓外科医になった理由の1割。残りの9割は、モテたかったからです。

北原:うーん、「モテる」をどう定義するのかが難しいのですが。「人より魅力的に見られる」という定義なら、努力して医師の資格をとり、お金も稼いでいるという点で、平均よりはモテやすい状態になれたと思います。でも、だからといって無双状態かといえば全然違う。僕のなかでは「自分がいいなと思った方を誘ってデートに行ける」が「モテる」の定義だったので、そういう意味ではあまり打率は高くなりませんでしたね(笑)


手術数が60倍以上のアメリカで、場数を踏む。想像できない自分になりたかった

▲シカゴ大学での北原さんと、一緒に働く皆さん(ご本人提供)

北原:いくつかの複合的な理由があります。ひとつは、初期研修で出会った同じ科の先輩の影響。初期研修って非常にハードで、しかも研修医なんてベテラン医師と比べたらこれっぽっちも仕事ができない。邪険にされながら仕事をしていくので、言われたことをただやるというような、思考停止になりがちなんですね。でも、その先輩は指示されたことだけやるんじゃなくて、まず自分で考えて正しいと感じるものを探し、勉強していこうという姿勢を持っていた。その方が渡米すると聞いて、その道にぐっと興味が湧きました。

もうひとつは、アメリカのほうが場数を踏めること。日本は、心臓外科医の数に比べて手術数がとても少ないんです。たとえば心臓移植なら、日本は年間60件しかしないのに、アメリカでは毎年4000件も手術が行われています。なかなかバッターボックスに立てない環境で外科医としてのスキルを磨くのは難しいし、国内の数少ない手術を任せてもらえるほど、卓越した心臓外科医になる自信もない。だったら日本国外に出たほうがスピーディーに成長できるだろうと考えました。

それに、日本で医師を続けたときの未来はなんとなく想像できたけれど、アメリカに行ったら10年後20年後にどうなっているか想像できない。そっちのほうが面白そうじゃないですか?

北原:日本人は全体的な教育レベルが高く、医療費も安いから病院にすぐ行けるし、健康に対する意識や関心が平均的に高いと思います。対してアメリカは患者数も多いし、医療費がめちゃくちゃ高い。教育の格差や貧困の問題もあって、患者さんやご家族に治療の必要性やこまかな説明をしても理解してもらえない場面は少なくありません。

でも、僕が医師として担当する「治療」「説明」といったタスクは、基本的に一緒ですね。相手によってアプローチは工夫するけれども、海を渡ったところでやるべきことは変わりませんから。


“客観的”な情報と“主観的”な情報を届けたい

北原:いまのチームWADAは、海外で活躍する医療従事者や留学の情報をリアルタイムで発信し、医師の海外留学や海外勤務を支援するための団体です。でも、2017年の発足時には、そんな大義はありませんでした。

渡米した当初、僕はイリノイ州・シカゴ大学に所属して、日々の経験をブログに綴っていたんです。当時はまだ医師の海外留学や医療現場の情報が日本にほとんど届いていなかったから、ブログを読んで珍しさから連絡をくれたりする人がときどきいて。

あるとき、「和田くん」という研修医が一週間ほどシカゴ大学を見学しに来ることになり、彼をもてなすためにつくったのがチームWADAでした。ロゴ入りのオリジナルTシャツを着て、ごはんを食べに行こう、くらいの活動ですよ。でも、せっかくTシャツをつくったんだから、海外留学や見学をしたいという医師が来たら今後ももてなそうと考えて、チームがなんとなく残りました。

北原:自分が留学しようと思ったときに全然情報がなくて、大変だったんですよね。だから、自分たちが海外で過ごしている毎日の経験はきっと、日本で留学を志している方にとっては非常に価値ある情報のはずだと。一人か二人かもしれないけれど、きっと誰かの役には立てるし、役に立たなかったとしても、出しておいて損はないだろうと思いました。

北原:ひとつは「この病院が人を探しています」「この病院やアメリカで働くにはこの資格が必要です」「資格取得のルートや費用はこれです」といった“客観的”な情報。もうひとつは、受け取った人が鼓舞されたり、モチベートされたりする“主観的”な情報です。前者は探せば手に入る内容もあるかもしれないけれど、じつは後者のほうが大切だったりするんですよね。

僕の例でいえば、かっこいい先輩が渡米するという主観的な情報で刺激を受け、さらにアメリカでは心臓外科の手術数が日本の何十倍も多いという客観的な情報を知り、「僕もここに行かなきゃいけない!」と大変やる気が出たわけです。

こうした2種類の情報をできるだけ多く届けることで、誰もが一歩を踏み出しやすくなると思っています。そのために、ブログがInstagramやTwitter(現X)となり、YouTubeとなり……いろんなプラットフォームを活用するようになりました。

▲チームWADAのみなさん(ご本人提供)

北原:最初は“ニセ医者”疑惑も出てきたりして焦りました(笑)。なかなか登録者数も伸びず、どうしようかなと思いましたが、医師のリアルを伝えるショート動画がバズってからは、本当にたくさんの方に登録していただきましたね。ただ、多くの方に見ていただけているからといって、とくに実感や影響力があるわけではありません。数が多ければいろんなアクションを取りやすくなるメリットはあるけれど、言ってみればそれだけです。

登録者数が増えることより、動画を見て実際に留学に行った人が一人でもいるとか、そっちのほうが僕にとってはインパクトが強いような気がしています。


やりたいことをやって、自分を楽しませるだけ

北原:いえ、ないです。設立時から、チームWADAのルールは「自由であること」なので、ここで何かをやりたいならやればいいし、やりたくないならいるだけでいいと考えています。だから、僕は何も言いません。

フリーダムすぎて、180人ほどいるインターンのうち、何か行動ができているのは30人くらいかもしれませんが……それはそれでよしです。学びたい人は自分から行動するはずですから。でも、僕のほうが彼らから学ぶことは多いですね。彼らの勢いが刺激になったり、「こういう教育が必要なんだな」などと気づきが生まれたりします。

北原:チームWADAを、ある人たちにとってのモチベーターにしたいです。ある人たちとは、かつての僕のように忙しさに追われ、周りのネガティブな一言に「くそくらえ」と感じていたり、留学に興味はあるけれど情報がなくて困っていたり、将来のことなんか全くわからなくてどうしたらいいんだと悩みつつも、前に進もうとしている人たち。

一人で道を切り開いていくのはとても大変だから、僕らが発信し続ける情報を、少しでも助けにしてもらえたらと思っています。

北原:身近なところで言えば、そもそもチームWADAの設立のきっかけになった和田くんは、いまセントルイスにあるワシントン大学で働いているんです。そういうふうに、自分たちが何かしら関わった人たちが留学したり、海外で自分らしく働いたりしているなんて話を聞くと、やっぱりうれしいですよね。でも、彼ら彼女らに対して「こうなってほしい」みたいな期待をかけることはありません。その先は、その人がその人の好きにやればいいことだから。

北原:「3ヶ月後にこんなこと、6ヶ月後にこんなことをやりたい」くらいはあるけれど、長期的なプランはとくにありません。いつでも、やりたいことが見つかったらそれをやりたい。そのスタンスでいたら飽きないし、逆にいろんなことをやり続けられるんじゃないかなと考えています。

自分の人生って、いろんな要素によって変わっていくと思うんです。でも「誰かに楽しませてもらう」とか「誰かのために頑張る」みたいな姿勢は、僕にはしっくりこない。根底にはいつも「自分を楽しませることができるのは自分だけ」という思いがあって、こだわっているのはどんな選択であっても「自分で決める」ということです。

何か行動を起こすときの動機は、決して立派なものばかりじゃなくてもいいんじゃないでしょうか。幼稚でくだらなくて、欲求に正直で、不純なものでもいい。

「人の命を救うために医者をやる」「社会に貢献しよう」とかじゃなくても、「自分がやりたいことが医者だった」「医者としてYouTubeをやってみたかった」なんていうのもアリじゃないかなと思っています。

▲2022年12月にご結婚された北原先生。取材にはチームWADAのメンバーのお一人でもある、妻・詩子さんが同席してくださった

北原大翔

1983年、東京生まれ。日本では「本物の心臓外科医」というチャンネルを持つYouTuber、アメリカではシカゴ大学で心臓外科医として働く外科医。海外で活躍する医師、看護師、薬剤師、などの情報をリアルタイムで発信するNPO法人 チームWADAを設立し、海外進出を志す若者の留学支援を行っている。

執筆:菅原 さくら
取材・編集:山口 真央
写真:梶 礼哉