母親になること――。それは女性にとって、一つの大きなターニングポイントだ。生活が変わり、ひと時も目を離せない存在がこの世に誕生するとなれば、なかには自分がこれまで目指してきたキャリアや、「やりたいこと」をあきらめざるを得ない人もいるだろう。だがその人、今村 陽(いまむら みなみ)さんは違った。

「自分がママだからこそ、出会えた人がたくさんいる。そして、ママだからこそ尊敬している人もたくさんいる。そんな大切なみなさんに、ずっと寄り添っていきたいから、私はこの仕事をしています」

彼女は母になってからプルデンシャル生命のライフプランナーという道を選んだ。そして実は、彼女の父親は、かつて同社で定年まで勤めあげたエグゼクティブ・ライフプランナーだった。

「母」として、そして「父の跡を継ぐ者として」。2つの視点から彼女を深ぼってみたい。


前編:「キャリア」と「やりがい」を追及できる仕事
後編:父は元ライフプランナー。2世としての覚悟と「My Rules」(←今回の記事はココ!) 

ライフプランナーだった父。その背中を通して、天国と地獄を見た

にぎやかなママ友会がお開きになり、また静かな空気が戻ってきたとき。今村さんは「父の話をしてもいいですか?」と口を開いた。

今村さんの父は、プルデンシャルのライフプランナーの最上位であるエグゼクティブ・ライフプランナーにまで昇りつめ、つい2年前、定年を迎えて一線を退いた。ただ、その道は決して平たんなものではなかったようだ。

「私が中学生くらいのときでしょうか。それまでライフプランナーとして順調に活動してきた父は、突然仕事ができなくなりました。身体的な病気などではなく、仕事において精神的に辛かった時期が10年ほど続いたんです。ライフプランナーはフルコミッションの仕事です。仕事ができなければ収入がなくなってしまう。それまで、高い業績から得られた収入で生活していた我が家の家庭環境は、まさに天国から地獄へ……。『両親が離婚したらどうしよう』、『父が急に命を絶ったらどうしよう』。そんなことを考え続けた、とても辛い時期でした」

思春期の今村さんにとって、10年という月日はあまりにも長いものだっただろう。そして生活の激変。それは今村さんの考え方にも強く根差しているようだ。

「今思うと本当に恥ずかしいのですが、父の仕事がうまくいっていたときはそれなりの収入もあり、家族みんなが勘違いしていたように思います。私自身も、自分は他の子と違うんだとクラスメイトを上から見るような……そんな勘違いです。でもその転落を経験しているから、いろんな人に、同じ目線で、対等に接することが大切なのだと身をもって知りました」


どん底から這い上がった父。私も「ライフプランナーになりたい」と思った

▲(写真左)左端から、今村さんの父、プルデンシャルの河野元社長、幼少期の今村さん (写真右)お父さまが招待された認定式の会場にて。ご両親と今村さん、今村さんの息子さんと(ご本人提供)

そんな今村さんの父は辛い時期から再起し、退職の数年前にエグゼクティブ・ライフプランナーに認定された。プルデンシャルでは、エグゼクティブに認定されると、スピーチの場を設けてもらえることがある。今村さんも、父のスピーチを聞くために家族で表彰式会場へ向かった。

「エグゼクティブの中には、驚くようなスピードで成績を残して30、40代で認定される方もいらっしゃいます。そんな方たちにまぎれ、うちの父はもう定年間近……。華やかな若手と比較し、父がこの場に招待されていることに恥ずかしさを覚えていたくらいだったんです」

しかし、スピーチで家族やお客さまへの感謝の気持ち、後輩たちに暖かいエールを贈った今村さんの父を囲んだのは、多くのプルデンシャルの仲間たちだった。

「よくここまで頑張ったよ」、「どん底から立ち直って本当にすごい」と、次々に声をかけてくれたという。

「父の周りのみなさんは、父のスピーチに共感して、称えてくれました。父は本当に幸せな人だと思います。そしてその姿を見て、私たち家族も救われた。この瞬間に居合わせたことで、私のなかに『ライフプランナーになってみたい』という気持ちが芽生えたように思います」


数年後、実際にライフプランナーになりたいと父に相談した今村さんは、ひとこと「辞めてはいけない仕事だけど、いいのか」と声をかけられたという。それは、10年ものあいだ仕事ができなくともライフプランナーであることを諦めなかった父からの、重い言葉だった。

「辞めない。そう答えました。最初は渋い顔をしていた父でしたが、決意が固いことが伝わったのか『そうか、お客さまのことだけ考えてやればいい』と最後は背中を押してくれて。今では父のお客さまの一部を引き継いでいます。最初は『こんな経験の浅い人に引き継ぐのか?』と心配そうな顔をされているお客さまも、父が『実は僕の娘で』と紹介すると、驚くほど喜んでくださる。なんだか不思議です(笑)」

でも、と真面目な顔になる今村さん。

「父のお客さまがいなかったら、私たち家族は生活できていなかったわけですよね。そう考えると感謝の気持ちでいっぱいになります。そんなお客さまのためにも、私はライフプランナーという仕事を辞められないし辞めたくない。これからもお客さまに恩返ししていくことが、父から後を継いだ私の使命だと思っています」


今村さんの「My Rules」

ママライフプランナーとして、父の跡を継ぐライフプランナーとして、今村さんにはいくつかの「My Rules」があるという。


家族の食事は自分が用意する

「どんなに忙しくても、家族が口にするものは私が把握していたいんです。時には市販のお惣菜や、お弁当に頼ったっていい。口に入れるものが身体を作ることは、この仕事をしてから身に染みて思い知らされました。だから家族の食事は、必ず自分の手で用意します。母として、妻として、家族の身体と健康に責任をもちたいと思っているのかもしれません」


今できることは、その場で、すぐにやる

「ライフプランナーは、お客さまからの急なお電話で様々なお手続きに対応しなければいけません。そしてそのようなケースの多くは、お客さまご自身も急いでいて、そして困っているから私に連絡をくださっているんです」

「もしも私が、ためこんでいた他の仕事でかかりきりになってしまったら、そんなお問い合わせに即対応できないかもしれない。だから絶対に『後でやる』はしません。今できることは、その場で、すぐにやります」


“お付き合い”でご契約をお預かりしない

「例えば、私のお客さまのご紹介で保険の話を聞いてくださる方がいたとします。私が万一の際の保障を持つ大切さをお伝えしても、その話が心に響かず、『付き合いもあるし、月数万円の積み立てだけします』となったら……?私はこの方に“もしも”の事態が起きたとき、自信を持って十分な保障をお届けすることができません。ですから、お付き合いでご契約をお預かりすることはしません」

「でもこれは私の力不足なんです。私は、いざという時に備えるための保障の大切さについて精一杯お話しますが、それがしっかりと届いていないということ。そんな状態では、私はその方から保険をお預かりする資格はない。いつか『なるほど、だから保障が必要なのか』と、その方が腹落ちするようなお話ができた時に、しっかりとした保障をお預かりさせていただきたいと思います」


知識のうえに、ぬくもりと、やさしさをお届けする

「私、この“My Rules”っていう連載に呼んでもらって本当にいいのかなって思っていたんです」

今村さんにその理由を聞くと、「ライフプランナーの中には、私には考えられないくらいの活動量を経て成績を残す方もたくさんいらっしゃいます。営業という仕事ですから、数字つまりご契約の数を追いかけることは当然のことかもしれません」

「でも一方で、私はいま育児と仕事のバランスを取って頑張りたいんです。そのときの自分に合ったスタイルで、精一杯働ける環境があることもプルデンシャルの魅力だと思うし、わたしは数字以上に、目の前にいるお客さまを『生命保険』という目には見えないものを使って守りたい。そして、一緒に未来を考えたい。私の手が届く範囲の人を、ちょっとだけ幸せにできたらいいなという気持ちでいます。数字や肩書きは後からついてくればいいのかなって」

とはいえ、今村さんは各地で行われる勉強会にも積極的に参加するなど、知識を広げることにも余念がない。

「ライフプランナーにとって、知識は必要ですから。生命保険って、長い期間で大きなお金をお預かりするわけで、お客さまも知識のない人に大切なお金を預けたいとは思いませんよね? だから安心していただくために勉強するんです。でも、私は知識だけじゃなくて、ぬくもりとか、やさしさを一緒に届けたい」

今村さんが言う、“ぬくもり”とはどのようなものだろうか。

「例えば、コロナに罹患してしまったというお客さまがいたら、食べられそうなものを用意して玄関のドアノブにかけておく。保険関係の書類をお送りするときは、手書きの記入見本と小さなメッセージカードを付けてみる。そんなことしかできませんが、心を込めて、ぬくもりのあるお付き合いをしていきたいと思っています」


今村さんは「本当にちっちゃなことなんです」と笑う。しかし、この小さなことの積み重ねが信頼を生み、大切なお客さまに“ライフプランナーのいる安心”を届けることにつながっていくのではないだろうか。

インタビュー・執筆:山口 真央
写真:梶 礼哉