「海外で働くことについて書いてください」という依頼をミモザマガジン編集部からいただき、困った。というのも、私は確かにしばらく海外に住んでそこで働いていたけれど、ほんとの意味で海外で働いていた訳でもない。当時の家族の意向によってニューヨークというエラく物価が高い場所に住むことになってしまったために、どうやって生きていけば……と悩んだ末、SNSを使えるだけ全部使って日本円を稼ぎつつ、それをせっせとドルに替えて家賃を払っていた(とても小規模な日本円の流出)。
だから現地の職場環境を体験した訳でもないし、アメリカでの就活のコツを語れる訳でもない。ましてや後半はパンデミックの渦の中、ろくに外にすら出られなかったし。そんな私が「海外で働くこと」を語ったところで、それは本当の意味で海外で働いている人たちからみればへそで茶を沸かすような話じゃないでしょうか……。
……と思いながら、少し当時の記憶をほじくり返してみる。そういえば、あの地で長く働く同郷の先輩に「あなたみたいな移住の方法、これまでだとありえなかったよねぇ」と複雑な感情をないまぜ
にしつつ伝えられたことがあった。SNSを頼りながら母国の貨幣を稼ぎ、異国での暮らしをやりくりする。それは確かに、今の時代らしい働き方と言えばそうなんだろう。
そこからさらにパンデミックを越えて、リモートワークが当たり前の社会にもなった。オフィスワーカーたちがどこでも働けるようになったのであれば、「じゃあ海外に住みながら日本の仕事をしよう」となる人も増えてくるのかもしれない(今は円安だけど)。そこで、しばらくそうした暮らしをしていた身として、その生活の内訳をここに開示しておこうかな、と思う。
もちろん、移住に必須なのは、ビザの取得に語学力、銀行口座の開設、衣食住の確保……だけれども、そうしたことは数多の先人たちが「この轍を踏むな!」と言わんばかりにあらゆるブログなどでさんざっぱら注意点を書き残してくださっている。なので今回はそこをすっ飛ばして、リモートワークの話に焦点を絞っていきたい。そして移住検討中の方には、是非とも「◯◯(国名)移住」などで個人のブログを検索し、そこに綴られた苦労話を一通り読んでいただきたい。
私は移住当初、日本企業の仕事をリモートで引き受けて、Webメディアの編集などを仕事にしていた。これが、なかなかにしんどかった。というのは仕事内容云々ではなく、時差の話。
ある日は、朝の5時……つまり日本時間18時からオンラインミーティングが始まる。6時過ぎにそれが終わり、シャワーを浴びて仕事。昼食を食べて眠くなり、うっかり長過ぎる昼寝をしてしまって目が覚めた頃には外はどっぷり暗い。行きたかったコーヒーショップの開店時間を逃してしまったな……と思いながらまた仕事、そして夕食の準備をしつつ、1日の最後のビールは我慢。というのも夜23時(日本は午前11時)からミーティングがあるのだし。そしてようやく深夜1時過ぎ、全てが終わったは良いけれど頭が興奮して3時まで寝付けず、しかし次の会議は朝6時……。こうした生活が続いた結果、体内時計は狂い、自律神経も乱れまくった。
「東海岸は遠いわ。せめて西海岸かヨーロッパやったら、もうちょっと重なる時間が増えるんやけど……」とボヤいている私に、「英語圏限定で選ぶんやったら、オセアニアに住んだら良かったのに」と友人。確かに、ニュージーランドなら時差は3時間、シドニーなんてたったの1時間!(いずれもサマータイムを除く)いやそもそも、それだけを理由に移住先を変えるというのはちっとも現実的ではないのだけれど、なんにしてもアメリカ東海岸は遠かった。そして南北に遠いのと、東西に遠いのとでは、まるで話が違うのだ。
ただ、あちらで生活しているうちに、次第に私の仕事の中心は文筆業になっていった。二つの文化を行ったり来たりしながら働き暮らしていくうちに、ものごとを見る視点が次第に立体的になり、文章のウケが良くなってきたから……という想定外の副産物を得た結果ではあるのだけど、そうした文筆業では悩みの種だった時差が大いに役立った。
私が書いている間、日本は真夜中。SNSから飛んでくる無数の通知やセンセーショナルな情報に喜怒哀楽を爆発させることも減り、仕事が捗る。さて、完成したから提出するかな……という頃にあちらは翌日の朝。寝てる間にフィードバックやら、諸々の問い合わせやらが飛んで来て、翌朝にそれを確認する。
つまり1人で集中を要する仕事に置いては、時差がある地域はむしろ捗る。
もちろん、出版社からの原稿料だけで食っていく……という爆売れ作家みたいな生活をしていた訳でもない。最大の生活の支えになっていたのは、noteの定期購読マガジン経由の収入。無論「noteで海外生活が出来ます!」みたいなことを言いたいのではないし、それは修羅の道なので他人様に勧められたものではない。でも私個人の話で言えば、多数の読者の方々から買い支えていただく、という仕組みは本当に助かった。そしてnoteの更新には編集者との打ち合わせもなければ、打ち切りもない。ときどき専門家にファクトチェックに入ってもらうくらいで、他はほぼ1人。そうして手にした売上をせっせとドルに替えて、野菜や肉や米を買い、家賃を払った。
けれども私はさまざまな理由で、2021年の秋に帰国することにした。そうして帰国した直後から、ニューヨークの物価は怒涛の勢いで高騰し、同時に円の価値は急降下。もし、あと1年住もうと家の契約を更新していたなら、間違いなく資金がショートしていた。私が借りていたアパートは、契約期間の途中で解約することも出来なかったし。ただただ下がり続ける日本円に悲鳴をあげながら、交渉しつつも資金を工面して家賃を払い続ける……という暮らしは穏やかじゃない。
参考までに、昔住んでいたブルックリンのウィリアムズバーグにある高層アパートの家賃を見てみると、2021年の7月20日には低層階の1bed(日本でいう1LDK。でも玄関はないし、トイレとお風呂は同じ空間。バルコニーもない)が4,005ドルだったところ、2023年の3月23日には4,978ドル。それを各々当時のレートで日本円に換算すると、前者が約45万、後者が約65.7万。円安との相乗効果で、同じ部屋なのに家賃が20万円以上も上がるというのはなんともおっかない話である。
2つの国の美味しいとこ取りをしながら暮らそうというその在り方は、まるで満ち引きする入江の中に砂の家を建てるような危うさがある。どれだけそこに美しい家が出来たとしても、潮が満ちると全てが崩れてしまうのだ。
ただ、物価が高い国に住む……という利点は少なからずあった。移住前の私は東京での仕事がそれなりに上手くいき、収入も増えて、お恥ずかしながらちょっと天狗になっていた。突然お金を得た若者は、お金と自分の価値を盲信しがちだ。困りごとは大体お金で解決できると高をくくっていたし、掃除や洗濯を自分でやるだなんて時間の無駄だと思っていた。さらに、友人との貸し借りは極力避けた。誰かになにかを頼るような湿った人間関係を築くより、お金を支払って知らない人に依頼するほうがずっと楽でしょうという認識だ。
でも物価の高い国に行けば、自分の立場は相対的に低くなる。長ネギ1000円、ラーメン1杯3000円、そして幼稚園に幼児を預けるのに月々40万円以上……というような場所だ(時と場所によるけど)。これまで通りの暮らしを維持することは難しい。
そこで掃除や洗濯を他人に任せる選択肢なんてなくなり、せっせと自分の手を動かすことになった。ちょうどアメリカでは片付けを通してウェルビーイングな心身を手に入れる”Konmari”ムーブメントが大流行していた頃だったのだけれど、確かに汚れを落としたり、居住空間を整える行為は、荒んだ心にじわりと効く。
それに加えて、なんの利害関係もない現地の友人たちが出来たことが、私の心をやわらかくしてくれた。東京では仕事関係の友人ばかりで、それは刺激的で楽しくもあったのだけれど、ときには仕事で何かしらのトラブルがあってギクシャクしたり、ライバル意識が見え隠れしたりしなくもない。一方、Instagramで、もしくはそのへんの店で仲良くなったニューヨークの友人は、本当にただの友人だった。彼ら彼女らを家に招き、日本食を振る舞いつつ、文化や社会の話をする。最初はまったく歯が立たなかった英語での会話も、喋りたい一心で次第に参加できるようになった。
まだ知らないストリートを歩き、異国の言語でお喋りをして、母国の言語でそのことを綴る。あっちの世界とこっちの世界に行ったり来たり。これまでとはまったく別の世界を手に入れられたような気持ちになって、最初は何の思い入れもなかったニューヨークという街も、次第に愛おしい場所になっていった。
国境が再び開いた2023年の今。そうして出会った友人たちが、私を頼って旅行先に日本を選んで来てくれるようになった。「東京、今ホテル高いからウチにしばらく泊まりなよ」と部屋を貸しつつ、衣食住を共にする。日本を旅して、各地で古い友人や家族を紹介して、あっちの世界とこっちの世界が混ざっていく。いろんな場所でいろんな人にどっぷりと世話になり、互いに貸し借りが増えていく。
どうやら、湿った人間関係を築くのが面倒だと思っていた移住前の私はすっかり姿を消したらしい。移住は思ってもみない副産物をぼろぼろと与えてくれたよな……だなんて思い返しつつ、不安定な場所で砂の家をせっせとこしらえていた日々を懐かしく思うのだ。
塩谷舞(Mai Shiotani)
1988年大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学卒業。大学時代にアートマガジンSHAKE ART!を創刊。会社員を経て、2015年より独立。2018年に渡米し、ニューヨークでの生活を経て2021年に帰国。オピニオンメディアmilieuを自主運営。note定期購読マガジン『視点』にてエッセイを更新中。著書に『ここじゃない世界に行きたかった』(文藝春秋)