紙の書類が大嫌いだった。郵送するにも手間をとり、置いておくにも場所をとる。水で滲むし、資源も使うし、検索も出来ないし。心が宿る手紙や本の類であれば話は別だが、事務仕事であればまず利便性を優先したいのに、請求書を1枚出すのにPDFを印刷して捺印、宛名を書いて封をして過不足ない値段の切手を貼り、ポストまで赴くとは何事か。メールなら1分で事が済むのに!……と、紙書類へのアンチ精神が最高潮に達していた数年前の私は、「請求書を紙で求められる仕事は一切お断り」というペーパーレス教過激派のスタンスを取り、SNSで声高に主張していたほどである。

ただそんなことを主張しながらも、ひとつだけ例外があった。確定申告の書類をまとめたファイル群だ。ここ数年は電子申告で済ませてもらってはいるものの、各年度の紙のレシートや支払調書なんかを税理士さんが仕分けしてくださっているため、背表紙に「20☓☓年度塩谷舞様 確定申告」と書かれたファイルが増えていく。それがずらりと並んだ景色を見ると、「はぁ、私もこんだけやって来れたんか」と、自らを少し認めてあげられるような気持ちになるのである。

一番古いファイルは2015年度。そこから2016、2017……と続いて、途中で一旦途切れているのはアメリカに引っ越しビザが取れて、確定申告ではなくTaxReturnをしていたから。で、また戻ってきて、2021、2022……

確定申告の書類は、端的に出来事を記録しているに過ぎないのだけれど、その数値や文字列を見ると否が応でも記憶がバカッと開く。2016年から3年間は、収益が150%で伸び続けている(これは有り難くも、Webライターバブル、オウンドメディアバブルの恩恵を受けたから。あの頃、盛り上がっていたよなぁ)。2017年には、苗字が変わっている(入籍したので。しかし当時は改姓についてあまり慎重に考えていなかったな)。2018年にはビットコイン立ての収益があり(人の価値を株式のように捉えて、ビットコインの時価で評価するサービスが流行り、なおかつこの頃の私は流行りに乗りたい性質だったからすぐに登録したんだった)同じく2018年には英語のレシートがどっと増えている(ニューヨークとの二拠点生活を始めて、価値観の天変地異が起きたのがこの頃)。2021年には苗字が元に戻っており(人生色々あるわな)、ここ数年は収益が年々縮小傾向にある(思想が変化したもので……)。

と、10冊弱並ぶファイルの中には、現実的な現実が淡々と記されており、それは同時に記憶のトリガーとしても機能する。

そうした現実が並ぶ隣に、これまで出させてもらった雑誌の類も並んでいるのだけれど、そちらはなんというか、やましい感じがして直視できない。ファッション誌、ビジネス誌、広告やメディア界隈の業界誌、ライフスタイル誌……とジャンルは様々なのだけれど、雑誌というのは総じて「これがひとつのお手本ですよ」と示してあげることが多い訳で。なおかつ、「これを読むとやる気が出る」とか「これを読めば癒やされる」とか、おおよその読了感が既に設計されている。極めつけは「素晴らしく魅力的」という前提で紹介されてしまうこともままあり、それはなんだか自分が世間様に嘘を付いているような、後ろめたい、ペテン師になったような気持ちになるのだ。

それに比べると、確定申告の書類群の実直なこと。背伸びをすることもなく、淡々と事実を記録している。だからこそ、読了感なんてものはそのときの自分の心持ちでまるで変わってくるのだ。たとえば収益が下がるというのは一般的にはネガティブなことなのかもしれないけれど、私としては無理をしない今の事業規模感が気に入っている。苗字が二度変わったことも、少し前の自分からすれば忌々しい気持ちがあったけれど、今はまた感情が異なってきている。

アートや映画、そして詩のような表現世界では、解釈の余地が大きな作品ほど、受け手のリテラシーが求められているということはある。となると、確定申告のファイル群というのは、いかようにでも解釈の余地が残された、至極上級者向けの読み物とも言えないか?と思ってみたりもしたけれど、いや、それはいくらなんでも買いかぶりすぎか……。

しかし何にしたって、私にとっては大切な記録であり、面白い読み物でもある。もっとも私のような物書きの仕事というのは、毎日の変化は比較的少ない。思いついて、調べて、聞いて、考えて、悩んで、書いて、消して、書いて、読んで、広めて、また書いて……という、小規模な営みの繰り返し。それが1週間、1ヶ月、1年と続いているだけ。だから連続した昨日と今日には劇的な変化はないけれど、そうした記録を8年分横並びにしてみると、「あぁ、確かに生きてきて、こんなに変わったんやなぁ」と、酸いも甘いも含めて愛おしくなるのだ。

ちなみに個人の青色申告の場合、帳簿・決算関係書類の保存が求められるのは長くとも7年。つまりそろそろ初期のファイルは捨てても良いのだけれど……それはちょっと寂しいな。どうやら、私はもうペーパーレス教と自称するには、それに愛着を持ちすぎている。過去の発言に共感してくださった方がいたら申し訳ないが、そろそろ改宗する必要がありそうだ。

まぁ、人の主義主張なんてものは変わるのだ。収益も、名前も、収入の項目も、こんだけ変わってきたのだし……と、そこにあるファイル群に目をやりつつ、今の自分に都合の良い解釈を加えておきたい。


塩谷舞(Mai Shiotani)

1988年大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学卒業。大学時代にアートマガジンSHAKE ART!を創刊。会社員を経て、2015年より独立。2018年に渡米し、ニューヨークでの生活を経て2021年に帰国。オピニオンメディアmilieuを自主運営。note定期購読マガジン『視点』にてエッセイを更新中。著書に『ここじゃない世界に行きたかった』(文藝春秋)

★塩谷さんのエッセイは全3回です。来月もどうぞお楽しみに…!